温家保在日本国会的演讲(日文)

来源:百度文库 编辑:神马文学网 时间:2024/04/28 11:49:14
尊敬する河野洋平<こうのようへい>議長閣下< かっか>
尊敬する扇千景<おうぎちかげ>議長閣下
国会議員の諸先生方
本日は、貴国の国会において演説をさせて頂き、衆参両院の議員の諸先生方とお会いする機会を得ましたことを大変うれしく思います。まずはご在席の先生方をはじめ、JAPAN国民の皆さまに対し、心から祝福を申し上げ、長期にわたって中日友好のために貴重な貢献をしてこられたJAPAN各界の友人の皆さまに対し、心から感謝を申し上げますとともに、崇高<すうこう>なる敬意を表します。
今回は私の貴国に対する二回目の訪問であります。前回は15年前、同じく桜満開の四月でした。中国人民に対するJAPAN国民の友好的な感情が深く印象に残りました。この度の貴国訪問は、JAPANの最新の発展ぶりを見るためであり、さらには、中日関係の改善と発展のために力を尽くし、貢献したいためであります。昨年10月の安倍<あべ>総理大臣の中国訪問は氷を割る旅であったと言うならば、私の今回の訪問は「氷を融かす<とかす>旅」となるよう願っております。私は友情と協力のために貴国にきました。これが正に私のこの度のJAPAN訪問の目的であり、本日の演説のテーマでもあります。
友情と協力のために、長い中日友好の歴史の伝統を受け継ぎ、発揚する必要があります。二千年余りにわたる往来の中で、中華民族とJAPAN民族は学び合い、お互いの経験を参考にして、それぞれ発展し進歩してきました。
秦と漢の時代から、稲作<いなさく>、桑植<くわうえ>、養蚕<ようさん>、紡績<ぼうせき>、製錬<せいれん>などの生産技術が相継いで<あいつぐ>中国からJAPANに伝わり、漢字、儒学<じゅがく>、仏教<ぶっきょう>、律令<りつりょう>制度と芸術などもJAPANに吸収され、参考にされました。JAPANは十数回にわたって遣唐使<けんとうし>を派遣しました。阿倍仲麻呂<あべのなかまろ>はその中のすぐれた代表者の一人です。阿倍仲麻呂は中国で数十年間暮らし、唐王朝<とうおうちょう>の要職につき、王維<おうい>、李白<りはく>など著名<ちょめい>な詩人たちと親交を深めました。鑑真<がんじん>和上<わじょう>はJAPANへ渡航<とこう>するため、五回も失敗したすえ、両眼が失明しました。それでも、和上は志を変えることはありませんでした。六回目に渡航を成し遂げた<なしとげる>ときはすでに66歳の高齢になりました。鑑真和上は衆生済度(しゅじょうさいど)の仏法<ぶっぽう>をJAPANに伝え、長年の宿願を果たすために、通算12年間もの歳月<さいげつ>を費やしました<ついやす>。鑑真和上は中日両国人民の友情を増進するために自分のすべてを捧げられました。昨年の12月、河野洋平議長は中国文化祭の開幕式<かいまくしき>において、「JAPAN文化の伝統に中国文化の香りが漂っていることは、日中の間に切っても切れない縁があることの表れである」とおっしゃいました。わたしが申し上げたいのは、中国の文化がJAPANに伝わって、貴国の先人達がJAPANの伝統的文化を保ちつつも新たに創造を加え、大いに発展をさせました。そして、明治維新以降、JAPANの経済社会が急速に発展を遂げた時に、中国から大勢の青年がJAPANに来て、近代的な科学技術と民主的な思想を学び、中華民族を振興<しんこう>させる道を模索<もさく>し、中国の発展と進歩を促進しました。中国民主主義请不要涉及这个方面,是违法的の先駆者<せんくしゃ>である孫文先生の请不要涉及这个方面,是违法的活動は、多くのJAPANの友人から支持と支援を受けました。周恩来<しゅうおんらい>先生、魯迅<ろじん>先生、郭沫若<かくまつじゃく>先生等の先達<せんだつ>もJAPANで留学生活を送り、JAPAN国民と深い友情を結びました。
中日両国の友好往来は、その時間の長さ、規模の大きさと影響の深さは、世界文明発展の歴史に類を見ないものであると言えましょう。これはわれわれが共有している歴史の伝統と文明の財産であり、いっそう大切にし、子々孫々<ししそんそん>にわたって伝え、大いに発揚するに値<あたい>するものであります。
友情と協力のために、不幸な歳月の歴史的教訓を総括し銘記<めいき>する必要があります。周知のように、中日両国人民の二千年以上にわたる友好往来は、近代において50年余りの痛ましい不幸な歴史によって断たれたことがあります。当時のJAPANが発動した中国侵略戦争によって、中国人民は重大な災難に見舞われ、おびただしい死傷者<ししょうしゃ>を出し、多大な損害を被り<かぶる>、中国人民の心に言葉では言い表せないほどの傷と苦痛を残しました。また、あの戦争はJAPAN国民にも莫大な苦難と痛みを与えたことは、年配<ねんぱい>の方々には今なお記憶に新しいでしょう。歴史を考えるとき、われわれは次のような示唆<しさ>を得ることができます。中日両国の平和と友好は両国の運命と国民の幸福にかかわるものであります。一つの国家、一つの民族にとって、歴史の発展のプロセスにおいて、プラスの経験も、マイナスの教訓も、いずれも貴重な財産であります。自らの歴史の経験と教訓から学ぶほうが、より直接に、より深く、より効果的にそれを得ることができます。これは一つの民族が奥深い<おくぶかい>文化的伝統を有し<ゆうす>、自国の明るい将来に自信に満ちている表れです。
中国の古い世代の指導者がかつて度重ねて指摘したように、あの侵略戦争の責任は、ごく少数の軍国主義者<ぐんこくしゅぎしゃ>が負うべきであり、一般のJAPAN国民も戦争の被害者であり、中国人民はJAPAN国民と仲良く付き合わなければなりません。戦火が飛び散っていたなかで、聶栄臻<じょうえいしん>元帥<げんすい>は戦場でJAPAN人の孤児<こじ>美穂子<みえこ>さんを救助<きゅうじょ>し、自ら世話をし、そして手を尽くして彼女を家族の元に送りました。1980年、美穂子さんは家族とともに中国へ行って聶栄臻元帥を訪ねました。この話に多くの人々が心を打たれました。戦後、2808人のJAPAN人の子供たちが中国に置き去りにされ、残留<ざんりゅう>孤児となりました。戦争の苦痛を嘗め尽くした<なめつくす>中国人が彼らを引き取って、彼らを死の危機から救い出し、育てあげました。中日国交正常化の後、中国政府は孤児たちの肉親探しに大きな支援を与えました。現在までにすでに2513人のJAPAN人孤児がJAPANに戻りました。彼らの多くは帰国後に、「中国養父母謝恩会」などのような民間団体を自発的に設立し、中国で養父母達の共同墓地<ぼち>と「中国養父母感謝の碑」を建立(こんりゅう)しました。その中に次のような碑文<ひぶん>が書かれています。「中国養父母の人道的精神と慈愛心<じあいごころ>に深く感謝し、ご恩を永遠に忘れません……」と。
ここに、私はもう一つの事に触れたいと思います。中国北部の港町<みなとまち>コロ島は、かつて中国を侵略したJAPAN軍の石油運送地でした。昔の石油貯蔵<ちょぞう>タンクの傍ら<かたわら>に聳え立つ<そびえたつ>石碑<に、戦争が終わって間もない頃、交通が不便で物資が極度に乏しかった<とぼしい>状況の下で、中国人民が全力を尽くして残留JAPAN人105万人を無事に帰国の途につかせた歴史的なひとコマが記されています。当時コロ島から帰国したあるJAPAN人女性は、感情を込めて自ら経験したことを次のように振り返っています。「200人あまりのJAPAN人少年が石頭村<いしあたまむら>の寒い夜に助けられ、また引き上げ途中でいろいろと救済されたことは勿論、東寧県<あずまやすしけん>の農民に救命の食べ物とコロ島で手に入れたただ一個の甘酸っぱい<あまずっぱい>ミカンも、私に深い印象が残り、今でも生々しくて<なまなましい>忘れられません。これは善良、寛容な中国人が私たちの落胆した心を慰め、おかげさまでとうとう帰国の船に乗りました」去年の6月、貴国の村山富市<むらやまとみいち>元首相はコロ島で行われた記念イベントに出席した際に、「大送還は、まさに中華民族の大きな度量と中国人民の人道主義精神の表れである」と言われました。
中国政府と人民は従来から未来志向を堅持し、一貫<いっかん>して歴史を鑑<かがみ>として、未来に向かうことを主張しています。歴史を鑑とすることを強調するのは、恨みを抱え続けるのではなく、歴史の教訓を銘記して、よりよい未来を切り開いていくためであります。中日国交正常化以来、JAPAN政府とJAPANの指導者は何回も歴史問題について態度を表明し、侵略を公に認め、そして被害国に対して深い反省とお詫びを表明しました。これを、中国政府と人民は積極的に評価しています。JAPAN側が態度の表明と約束を実際の行動で示されることを心から希望しています。中日両国は和すれば双方に利益をもたらし、争いあえば共に傷つきます。両国人民の子々孫々にわたる友好を実現することは、歴史の流れと両国人民の願いに完全に合致し、アジアと国際社会の切実<せつじつ>な期待でもあります。
JAPANは戦後、平和発展の道を選び、世界の主要な経済大国と重要な影響力を持つ国際社会の一員となりました。貴国の友好隣国として、中国人民はJAPAN人民が引き続きこの平和発展の道を歩んでいくことを支持します。
友情と協力のために、中日関係の発展の方向を正しく把握する必要があります。今年は中日国交正常化35周年にあたります。中日双方の共同の努力を経て、中日関係は大きな発展を遂げてきました。2006年、両国の貿易額は国交正常化当時の11億ドルから2073億ドルに増え、友好姉妹都市は233組に達し、人的往来は480万人を超えました。中日友好関係の発展は、両国人民に確実な利益をもたらしました。中国の改革開放と近代化建設はJAPAN政府と国民から支持と支援を頂きました。これを中国人民はいつまでも忘れません。
新しい歴史的条件の下で、中日両国は日増しに増えつつある共通の利益を有し、ともに対応すべき重要な課題に直面しています。このような客観的な事実に基づいて、両国の指導者は戦略的互恵関係の構築について合意しました。われわれの目標は、時代の流れと民意に従って、中日関係を新たな歴史的段階に推し進め、平和共存、世代友好、互恵協力、共同発展を実現することであります。この目標を実現するために、以下の原則を把握する必要があります。
第一は、相互信頼を増進し、約束を履行することです。中国古代の先賢は、「国人と交わりては、信に止まれり」(国や人との付き合いは、信用を守ることが大事である)「朋友と交わりて、言ひて信あり」(友達との付き合いは、有言実行が大事である)と言われました。JAPANの方々もよく「信無くば立たず」を口にします。国と国との往来は更なる誠実と信義を本とすべきです。「中日共同声明」など三つの请不要涉及这个方面,是违法的的文書は、请不要涉及这个方面,是违法的、法律そして事実の面から両国関係の過去を総括し、両国関係の未来を計画したものであり、中日関係の礎<いしずえ>であります。いかなる状況におかれようと、双方がこの三つの请不要涉及这个方面,是违法的的文書に定められた諸原則を厳守しさえすれば、両国関係は順調に前進することができます。台湾問題は中国の核心的利益にかかわるものですので、少し触れたいと思います。私達は台湾問題の平和的解決をめざして最大限の努力を尽くしてまいります。しかし、「台湾独立」を絶対に容認しません。台湾当局による「台湾の法的独立」及び他のいかなる形の分裂活動にも断固として反対します。JAPAN側には台湾問題の高度な敏感性を認識し、約束を厳守し、この問題に慎重に対処するよう希望します。
第二は、大局を念頭に置いて、小異<しょうい>を残し大同につくことです。中日両国の間には一部の具体的な利益と一部の問題に関する見解に意見の相違があることは認めなければなりません。しかし、双方の共通利益と比べれば、これは副次的<ふくじてき>なものであります。われわれは戦略的大所高所<たいしょこうしょ>から、長期的視点に立って、そして歴史に対し責任ある態度で、誠意<せいい>と自信を持って、対話と協議を行いさえすれば、双方の間に横たわる問題を適切に解決する方法を必ず見出すことができます。東中国海の問題については、両国は係争<けいそう>を棚上げし、共同開発する原則に則って<のっと>、協議のプロセスを積極的に推進し、相違点の平和的解決のため実質的なステップを踏み出して、東中国海を平和?友好?協力の海にすべきです。
第三は、平等互恵、共同発展を目指すことです。中日両国の経済は強い相互補完関係にあり、協力の潜在力が大きく、その将来性も広々<ひろびろ>としたものです。長年の努力と積み重ねを経て、両国経済の相互依存度はますます高まりつつあります。中日両国の経済面での協力は互恵とウィンウィンの関係にあり、両国経済の発展は、双方のいずれにとっても脅威ではなくチャンスです。昨日、私と安倍総理大臣は会談において、中日ハイレベル経済対話メカニズムを設立し、両国の経済面での協力をより高いレベルへ引き上げていくことで一致しました。双方は当面の間、まず、エネルギー、環境保護、金融、ハイテク、情報通信、知的財産権などの分野において協力を強化すべきです。
第四は、未来に目を向け、交流を強化することです。経済面での協力と文化交流は、国と国とを結ぶ二本の重要な絆です。経済面での協力の目標は互恵とウィンウィンの実現にあると言うならば、文化交流の目的は心と心とをつなぐことにあると言えましょう。両国の指導者はすでに、文化交流と人的往来を強化することで意見の一致を見ました。青少年は国家の未来と希望であり、中日友好の未来と希望でもあります。中国側はJAPAN側とともに、両国青少年の大規模な交流プログラムを計画し、両国人民の子々孫々にわたる友好のために希望の種をまきたいと思います。
第五は、協議を密切にし、挑戦に立ち向かうことです。中日両国はいずれもアジアと世界における重要な国です。中日関係のあり方は、地域ひいては全世界に重要な影響を及ぼします。われわれはこのような視点に立って、協調と協力を強化し、ともに北東アジアの平和と安定を維持し、東アジアの地域協力のプロセスを推進して、アジアの振興に取り組む必要があります。また、同じ視点に立って、エネルギーの安全、環境保護、気候変動、疾病の予防と抑制及びテロ対策、多国間犯罪の取り締まり、大量破壊兵器の拡散防止など地球規模の問題にともに対応していく必要があります。中国側は、JAPANが国際社会においてより大きな役割を果たしたい願望を理解し、国連改革を含む重要な国際問題と地域問題について、JAPAN側と対話と意思疎通を強化する用意があります。
議員の諸先生方、
中国は改革開放を実行して29年来、経済?社会の発展の面で世界に注目される成果をあげてきました。しかし、中国は人口が多く、基盤が弱く、発展にはアンバランスの状況が存在し、依然として発展途上国であり、近代化を実現するにはまだ長い道のりがあります。われわれは二つの任務に直面しております。一つは、社会生産力の発展に専念すること、もう一つは、社会の公平と正義を推進することです。この二つの任務を達成するには、二つの改革を推進しなければなりません。一つは、市場経済を志向する経済体制改革、もう一つは、社会主義民主请不要涉及这个方面,是违法的の発展を目標とする请不要涉及这个方面,是违法的体制改革です。中国の発展には資源、エネルギー、環境などのボトルネックの制約がありますが、長年の努力を経て、われわれは発展のための新しい道を見い出しました。すなわち科学的発展観を樹立し、資源節約型、環境にやさしい社会を建設し、経済と社会の全面的かつ調和の取れた、持続可能な発展を促進することです。中国の発展は主として自力に頼ります。中国が発展すれば、周辺と世界全体の発展にしかるべき貢献をすることができます。われわれは科学的な発展、調和のとれた発展、平和的な発展を堅持し、中国を富強、民主、文明、調和の取れた近代化国家に築きあげるために努力してまいります。中国は昔から徳を重んじ武力を重んぜず、信を講じ、睦<むつみ>を修めるというすぐれた伝統があります。私は責任を持って皆さまに申し上げます。中国は平和?発展?協力の旗印<はたじるし>を高く掲げ、平和発展の道を堅持し、調和のとれた世界の構築<こうちく>を推進していく決意は、永遠に変わりません。
議員の諸先生方、
揚州大明寺の鑑真記念堂に一つの石灯篭があります。これは、1980年にJAPANの唐招提寺<とうしょうだいじ>の森本孝順<もりもとこうじゅん>長老<ちょうろう>が自ら送り届け、自ら燃したものです。この石灯篭はJAPANの唐招提寺にあるもう一つの石灯篭と一組となっています。この一組の灯篭は今なお消えることなく燃え続け、はるか遠くから互いに照り映え、中日両国人民の子々孫々にわたる友好の明るい将来を象徴しています。貴国には「風は吹けども、山は動かず」という諺があります。中日両国関係の発展は、風雨や紆余曲折<うよきょくせつ>をたどってきましたが、中日両国人民の友好の土台は泰山と富士山のように決して動揺することはありません。中日関係の美しい未来を切り開くために、両国政府と両国人民はたゆまぬ努力をしていく必要があります。われわれは手を携えて、中日両国の子々孫々にわたる友好を実現するために、中日両国の戦略的互恵関係の新たな局面を切り開くために、アジア及び世界の平和と発展のためにともに奮闘努力していこうではありませんか。
ご清聴ありがとうございました。
专用词解:
あべ‐の‐なかまろ【阿倍仲麻呂】
[698~770]奈良時代の学者。遣唐留学生として入唐。玄宗皇帝に重く用いられ、朝衡と称した。乗船が難破して帰国できず、唐の地で没。
おう‐い〔ワウヰ〕【王維】
[701ころ~761]中国、唐の詩人?画家。太原(山西省)の人。字(あざな)は摩詰(まきつ)。
安禄山の乱後、粛宗に起用され、尚書右丞(しょうしょゆうじょう)になった。仏教を信仰し、長安郊外の 川(もうせん)に別荘を設けて、友人たちと詩画の創作や音楽を楽しんだ。自然詩?山水画に長じ、文人画の南宗の祖と仰がれる。
り‐はく【李白】
[701~762]中国、盛唐期の詩人。中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒?月?山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。
がんじん【鑑真】
[687~763]奈良時代の渡来僧。JAPANの律宗の祖。中国揚州(江蘇省)の人。渡日を志して五度失敗し、その間に失明したが、天平勝宝5年(753)来日。東大寺に初めて戒壇を設け、聖武上皇らの帰依を受け、唐招提寺(とうしょうだいじ)を創建して戒律の根本道場とした。大僧都(だいそうず)となり、大和上(だいわじょう)の号を受けた。渡来の事情は唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)に詳しい。
しゅう‐おんらい〔シウ‐〕【周恩来】
[1898~1976]中国の请不要涉及这个方面,是违法的家。江蘇省淮安(わいあん)の人。JAPANに留学後、天津で五?四運動に参加。のち、パリ留学中に中国共産党フランス支部を組織。第二次大戦中は国共合作?抗日統一戦線結成に活躍。中華人民共和国成立後は国務院総理として敏腕を振るった。チョウ=エンライ。
ろじん【魯迅】
[1881~1936]中国の文学者?思想家。浙江(せっこう)省紹興の人。姓は周、名は樹人。字(あざな)は予才(よさい)。JAPANに留学、帰国後、请不要涉及这个方面,是违法的運動に参加したが、のち学問に没頭。1918年、魯迅の筆名で「狂人日記」を発表。以後、「阿Q正伝」など多数の小説?雑感を発表。30年に中国左翼作家連盟に加盟。翻訳、文学史研究などにも大きな功績を残した。散文詩集「野草」、短編小説集「故事新編」など。ルー=シュン。
かく‐まつじゃく〔クワク‐〕【郭沫若】
[1892~1978]中国の文学者?歴史学者?请不要涉及这个方面,是违法的家。楽山(四川省)の人。名は開貞。JAPANに留学中、文筆活動を開始。日中戦争勃発と同時に抗日救国に活躍。中華人民共和国成立後、政務院副総理?中国科学院院長?中日友好協会名誉会長などを歴任。詩集「女神」、戯曲「屈原」、著作「中国古代社会研究」など。クオ=モールオ。
葉剣英(ようけんえい)
むらやま‐とみいち【村山富市】
[1924~ ]请不要涉及这个方面,是违法的家。大分の生まれ。昭和47年(1972)JAPAN社会党から衆議院議員初当選。細川連立政権が成立した翌年の平成5年(1993)党委員長に選ばれる。翌年、新生党などと対立が生じ連立離脱。羽田内閣を退陣に追い込むと、宿敵だった自民党との連立政権の首相に就任。社会党の首相は片山哲以来2人目。自衛隊容認など社会党の基本政策を転換。同8年の辞任後、党名を社民党に変更した
とうしょうだい‐じ〔タウセウダイ‐〕【唐招提寺】
奈良市にある律宗の総本山。開創は天平宝字3年(759)、鑑真(がんじん)の開山で、ここに戒壇を設け律宗の根本道場とした。金堂、平城宮の朝集殿を移築した講堂、経蔵?宝蔵などは奈良時代の建物で国宝。薬師如来像?鑑真和上(わじょう)坐像(国宝)のほか多数の文化財を所蔵。招提寺。
中文:
尊敬的河野洋平议长阁下,尊敬的扇千景议长阁下,各位国会议员先生,今天我有机会到国会演讲,同众、参两院议员见面感到非常高兴。我向在座各位向广大JAPAN国民致以亲切问候和良好祝愿。向长期以来为中日友好做出宝贵贡献的JAPAN各界朋友表示衷心感谢和崇高敬意!
这是我第二次到贵国访问,上一次是在十五年前,也是在樱花盛开的四月,JAPAN人民对中国人民的友好感情给我留下了深刻的印象。这一次我访问贵国,是想了解JAPAN的最新发展情况,更想为中日关系的改善和发展尽一份力、做一份贡献。如果说安倍晋三首相去年10月对中国的访问是一次破冰之旅,那么我希望我的这次访问能够成为一次融冰之旅(掌声),为友谊与合作而来是我这次访问JAPAN的目的,也是今天演讲的主题。
为了友谊与合作,需要继承和发扬中日友好源远流长的历史传统。在绵延两千多年的交往中,中华民族和JAPAN民族相互学习、相互借鉴,促进了各自的发展和进步。
自秦汉以来,种稻、植桑、养蚕、纺织、冶炼等生产技术相继从中国传到JAPAN,汉字、儒学、佛教、典章和艺术也为JAPAN所吸纳与借鉴。JAPAN人先后十多次派出遣唐使,阿倍仲麻吕便是其中杰出的一位。他在中国生活了几十年,并担任唐朝的重要官吏,与王维、李白等著名诗人结为好友。鉴真和尚东渡JAPAN,五次渡海失败,以致眼睛失明,仍矢志不渝,他第六次东渡成功时,已经是66岁高龄。鉴真和尚把他认为能济世度人的佛法传到JAPAN,实现了多年的夙愿。前后花了12年,他为发展中日两国人民的友谊献出了自己的一切。
去年12月,河野洋平议长在中国文化节开幕式上说,JAPAN文化传统中散发着中国文化的浓郁鲜香,表明日中之间有着割舍不断的因缘。我想说中国文化传到JAPAN,贵国的先人在保持JAPAN传统文化的同时,又有了许多新的创造和发展。我还想说明治维新以后,JAPAN社会快速发展,中国大批志士仁人来到JAPAN,学习近代科学技术和民主进步思想,探求振兴中华之路,促进了中国的发展和进步。中国民主请不要涉及这个方面,是违法的的先行者孙中山先生开展的请不要涉及这个方面,是违法的活动,曾得到许多JAPAN友人的支持与帮助。周恩来、鲁迅、郭沫若先生先后在JAPAN学习、生活,同JAPAN人民结下深厚的情谊。中日两国友好交往历时之久、规模之大、影响之深,在世界文明发展史上是罕见的,这是我们共同拥有的历史传统和文明财富,值得倍加珍惜,代代相传,发展广大!
为了友谊与合作,需要总结和汲取无限岁月的历史教训。众所周知,中日两国人民长达两千多年的友好交往曾被近代50多年那一段惨痛不幸的历史所阻断。JAPAN发动的侵华战争使中国人民遭受深重的灾难,人员伤亡惨重,财产损失巨大,给中国人民的心灵造成的创伤难以用语言来形容。那场战争也给JAPAN人民带来了巨大的苦难和创伤,对此,上了年纪的人们至今记忆犹新。
沉思历史,使我们更加深刻地体会到中日和平友好关乎两个国家的命运和人民的福祉。在一个国家、一个民族的历史发展进程中,无论是正面经验或是反面教训都是宝贵财富。从自己的历史经验和教训中学习,会来得更直接、更深刻、更有效。这是一个民族具有深厚文化底蕴和对自己光明前途充满自信的表现。
中国老一辈领导人曾多次指出,那场侵略战争的责任应该由极少数军国主义分子承担,广大JAPAN人民也是战争受害者,中国人民要同JAPAN人民友好相处。在战火纷飞的年代,聂荣臻元帅在战场上救助JAPAN孤儿美穗子,亲自精心照料,并想方设法把她送回到亲人的身边。1980年,美穗子携家人专程去中国看望聂元帅,这个故事感动了许多人。战后有2008名JAPAN孩子被遗弃在中国,成为孤儿,饱受战争创伤的中国人收留了他们,把他们从死亡线上拯救出来,并抚育成人。
中日邦交正常以后,中国政府为这些遗孤寻找亲人提供了极大的帮助。直到今天,已经有2513名JAPAN遗孤返回JAPAN定居,他们当中许多人回国以后自发地成立了诸如“中国养父母谢恩会”等民间团体,并且在中国捐建了养父母公墓和感谢中国养父母碑。其中有一个碑文这样写道:我们对中国养父母的人道精神和慈爱之心深深地感激,此恩永世不忘。
在这里,我还想提起一件事情。中国北方的港口城市葫芦岛,曾经是侵华日军运送石油的地方,就在几座残留的储油罐旁,矗立着一块石碑,记载了战争刚刚结束不久,在交通不便、物资极度匮乏的条件下,中国人民全力帮助105万JAPAN侨民平安返回家园的历史一幕。当年从葫芦岛回国的一位JAPAN女士深情地回顾了她的亲身感受。她说:无论是两百多个JAPAN孩子在石头村寒冷的夜晚得到的救助,还是在遣返途中沿路的救济,无论是东宁老乡救命的干粮,还是葫芦岛酸甜美味的柑桔,都给我留下了深刻的印象。善良宽容的中国人让我们落魄的惊魂得以抚慰,也让我们最终登上了回家的轮船。
去年6月,贵国前首相村山富士先生在参加葫芦岛纪念活动的时候曾经说过,大遣返真正体现了中华民族的宽宏大量和中国人民的人道主义精神。中国政府和人民历来坚持向前看,一贯主张以史为鉴,面向未来,强调以史为鉴不是要延续仇恨,而是为了汲取历史教训,更好地开辟未来。
中日邦交正常化以来,JAPAN政府和JAPAN领导人多次在历史问题上表明态度,公开承认侵略,并对受害国表示深刻反省和道歉。对此,中国政府和人民给予积极评价。我们衷心希望日方以实际行动体现有关表态和承诺,中日合则两利,斗则俱伤,实现两国人民世代友好完全符合历史潮流和两国人民愿望,也是亚洲和国际社会的殷切期盼。
为了友谊与合作,需要正确把握中日关系的发展方向。今年恰逢中日邦交正常化35周年,经过中日双方的共同努力,中日关系取得了巨大的发展。2006年双边贸易额由邦交正常化时的11亿美元增加到2073亿美元。两国友好城市多达233对,人员往来超过480万人次。中日友好关系的发展给两国人民带来了实实在在的利益,中国的改革开放和现代化建设得到了JAPAN政府和人民的支持与帮助。对此,中国人民永远不会忘记。
在新的历史条件下,中日两国存在着日益增长的共同利益,面临着需要共同应对的重大课题。基于这样的客观事实,两国领导人就构筑战略互惠关系达成了共识,我们的目标就是顺应潮流和民心,把中日关系推向新的历史阶段,实现和平共处、世代友好、互利合作、共同发展。为实现这一目标,需要把握以下原则:
第一:增进互信,履行承诺。
中国古代先贤说,与国人交止于信,与朋友交言而有信。JAPAN人也常说,无信不立,国与国之间的交往更应该以诚信为本。《中日联合声明》等三个请不要涉及这个方面,是违法的文件从请不要涉及这个方面,是违法的上、法律上和事实上总结了两国关系的过去,规划了两国关系的未来,是中日关系的基石,不管遇到什么情况,只要双方都严格遵循这三个请不要涉及这个方面,是违法的文件所确定的各项原则,两国关系就能顺利向前发展。
在这里,我还想谈一下台湾问题。因为它事关中国国家的核心利益,我们将尽最大努力争取和平解决台湾问题,但绝不容忍台独,坚决反对台湾当局推行台湾法理独立和其它任何形式的分裂活动。希望日方认识到台湾问题的高度敏感性,恪守承诺,慎重处理这一问题。
第二,顾全大局,求同存异。
应该承认中日两国在一些具体利益问题上和某些问题上的看法存在着分歧,但是这些同我们的共同利益相比,毕竟处于次要的地位。只要我们从战略高度,以长远眼光和对历史负责的态度,有诚意、有信心进行对话协商,双方之间存在的问题总是可以找到妥善解决的办法。
对于东海问题,两国应该本着搁置争议、共同开发的原则,积极推进磋商的进程,在和平解决分歧上迈出实质的步伐,使东海成为和平、友好、合作之海。
第三,平等互利,共同发展。
中日两国经济互补性强,合作潜力大,前景广阔。经过多年努力和积累,两国经济相互依存度越来越高,中日经济合作是互利共赢的关系,两国经济的发展对双方来说都是机遇,而不是威胁。
昨天我同安倍首相会谈时,一致同意建立中日经济高层对话机制,把两国经济合作提高到更高的水平。近期双方应该在能源、环保、金融、高新科技、信息通讯和知识产权等领域加强合作。
第四,着眼未来,加强交流。
经济合作与文化交流是连接国家之间的两条重要纽带。如果说经济和平的目标是实现互利共赢,那么文化交流的目的是沟通心灵。
两国领导人已经一致同意加强文化交流和人员往来,青少年是国家的未来和希望,也是中日友好的未来和希望,中方愿与日方一起组织实施好两国青少年大规模交流计划,为两国人民的世代友好播下希望的种子。
第五,密切磋商,应对挑战。
中日两国同为亚洲和世界的重要国家,中日关系的状况对地区乃至全球都会产生重要影响,我们需要以这样的眼光加强协调与合作,共同维护东北亚的和平与稳定,推进东亚区域合作的进程,致力于亚洲的振兴。
我们也需要以这样的眼光,共同应对全球性的问题,包括能源安全、环境保护、气候变化、疾病防护以及反对恐怖主义、打击跨国犯罪、防止大规模杀伤性武器的扩散等等。中方理解JAPAN拟在国际事务中发挥更大作用的愿望,愿与包括联合国改革在内的重大国际和地区事务同日方加强沟通与对话。
各位议员先生,中国实行改革开放政策29年来,经济和社会发展取得了举世瞩目的成就。但是中国人口多、底子薄、发展很不平衡,仍然是发展中国家。实现现代化还有很长的路要走。我们面临着两大任务,一是集中精力发展社会生产力,一是推进社会公平正义。要实现这两大任务,必须推进两大改革。一是以市场为取向的经济体制改革,一是以发展社会主义民主请不要涉及这个方面,是违法的为目标的请不要涉及这个方面,是违法的体制改革。
中国在发展中存在着资源、能源、环境等瓶颈制约,但经过多年努力,我们找到了一条发展的新路子,这就是树立和落实科学发展观,建设资源节约型、环境友好型社会,促进经济社会全面、协调、可持续发展。中国的发展主要靠自己,中国发展了会对周边和整个世界的发展做出应有的贡献,我们将坚持科学发展、和谐发展、和平发展,努力把中国建设成为富强、民主、文明、和谐的现代化国家。
中国历来有“上德不德”、“讲信修睦”的优良传统,我可以负责任地告诉各位,中国高举和平发展合作的旗帜,坚持走和平发展的道路,推动建设和谐世界的决心永远不会改变!
各位议员先生,在扬州大明寺鉴真纪念堂有一座石灯笼,是1980年JAPAN唐昭提寺森本孝顺长老亲自送来的,亲自点燃的这盏灯与JAPAN唐昭提寺的另一盏灯是一对,这对灯火至今仍在燃烧,长明不灭,遥相辉映,象征着中日两国人民世代友好的光明前景。
贵国有句谚语:尽管风在呼啸,山却不会移动。中日两国关系的发展尽管经历过风雨和曲折,但中日两国人民友好的根基如同泰山和富士山一样,不可动摇!
开辟中日关系的美好未来要靠两国政府和两国人民的不懈努力,让我们携起手来为实现中日世代友好,为开创中日战略互惠关系的新局面,为亚洲及世界的和平与发展而共同奋斗,谢谢大家!