星を見つけた日

来源:百度文库 编辑:神马文学网 时间:2024/05/01 00:25:32
 その朝も、僕は親父の言い付けで卸し市へ買出しに出かけていた。
 いつものごとく良く晴れた日で、空には雲ひとつ無い。まだ早朝だと言うのに、首筋にはもう汗が滲んでいる。

「ふぅ……今日も暑くなりそうだな……」

 やがて目当ての店に着いた。僕は店主に軽く挨拶をしてから台の上に並べられた生糸を選り始める。同じ値が付けられていても品質が均等とは限らない。
 僕は代々生糸を使った織物業を営んでいる職人の家に生まれた。伝統的な製法で作られた親父の絹は、その良質さに定評があり、たまに貴族や王族からも発注が来たりする。
 本来ならば絹の原料である生糸も家で養蚕して揃えるのだが、今年は少し事情が違った。家で育ててきた桑の木が病気になり、葉を付けなくなってしまったのだ。長年絹を織ってきた親父もこれにはお手上げだった。

「これとこれ、お願いします」
「はいよー。いつもご苦労さん」

 適当な糸を見繕ってお使いを済ませると、僕はまっすぐ家路を辿る。
 王宮前の噴水広場を通りかかったとき、不意に弦楽器(ウード)の音色が僕の耳をくすぐった。
 目を向けると、そこには人だかり出来ている。中心には詩人のような格好をした女性が噴水の縁に腰掛け、弦楽器を奏でていた。
 この城下町に吟遊詩人が訪れるのは珍しいことだ。
 今回のお使いは急ぎというわけでも無い。折角だから僕も、詩人の唄と言葉に耳を傾けることにした。
 広大な砂の大地と、寒暖の激しい気象を持つこのカルド王国では、隣町に向かうにも死と隣り合わせの危険を冒さなければならない。王国から外に出ようとする者など行商人や吟遊詩人などの旅人くらいで、僕もこの王都の外の世界など見たことがない。
 そんな僕らにとって、吟遊詩人の唄や詩は外の世界を教えてくれる興味深い情報源の一つなのだ。
 僕は詩人の周りに座っている同年代くらいの子供達の中に混ざった。王宮の近くなだけあり、全員が見知った顔だ。振売商の所のレルク、酒屋の末娘のミリーナ、悪戯好きのケルダス、それから……


(あれ……?)

 僕はふと、その中に知らない顔があることに気付く。
 その男の子は僕のすぐ隣に座っていた。
 青碧の髪(相当な癖毛なのか、ターバンの隙間からはみ出している)に透き通った浅葱色の瞳。大きな目と形の整った太い眉が、くっきりとした顔立ちを印象付けていた。
 布を売りに町中を歩き回ることの多い僕はできる限り人の顔と名前を覚えるようにしていたのだが、この子には本当に見覚えがない。
 一体どこの子だろうかと服装なども観察していると、その子は僕の視線に気付いて声をかけてきた。

「こんにちは!」
「あ……こんにちは」

 少年はにっこりと笑い、大きな瞳で僕の顔をじっと見つめる。

「……? ねぇ、僕とどこかで会ったことある?」

 そして僕が考えていたこととは正反対の質問を投げかけてきた。
 言われて僕はもう一度彼の顔をじっくりと見、記憶に検索をかけてみるのだが、やはり何も引っかかりはしなかった。

「えっと……多分、初めまして……だよ?」
「あれ、そっかぁ……」

 もし会ったことがあったらどうしようかと少し不安になりながらも答えると、少年はさほど気にした様子もなく詩人の方に視線を戻した。
 僕はつい、いつもの癖でその子に尋ねてしまう。

「君、どこの子?」

 少年は目をまん丸にして僕を見た。その質問に心底動揺したようだった。

「え、えっとね、ぼぼ、僕はね、そのあのえっとね? え~っと……」

 少年は誰かに助けを求めるかのようにキョロキョロと辺りを見渡している。
 何だか悪い事を聞いてしまったのかな。
 興味本位の質問でここまで慌てられると、なんだか申し訳なく感じてしまう。

「あ、いや……言いたくなかったら別に……」

 慌ててそう付け加えると、少年は心底救われたように胸を撫で下ろしていた。

「えっとね、名前はエストだよ」

 そのまま何も答えないのは申し訳ないと思ったのか、彼は代わりに名前を教えてくれた。
 やはり聞き覚えのない名前だよな。そう僕は自分の記憶に再度確認を取ってから彼に手を差し出す。

「僕はイスメトだよ。よろしく」
「うん! よろしく、エスメト!」
「…………"イ"スメトだよ」

 少年は僕の延ばした手を力強く握り返し、その腕を嬉しそうにブンブンと上下に振った。

「僕ね、"普通の人"と話したの初めてなんだ! だからとっても嬉しい!」

 普通の人……? それは一体どういう……
 彼の言っている意味がよく分からず、僕の頭に疑問が浮かぶ。が、こうして出会えたことに彼はとても喜びを感じてくれているようだ。その友好的な反応に水を差すのも悪いだろう。
 僕は適当に相づちを打ち、言葉の意味には触れないことにした。

「……? どうしたの?」

 と、不意にエストは僕のマントの端を掴んで自分の顔を隠すように持ち上げた。
 不思議に思って尋ねると、エストは慌てるように首を横に振り、小声で返してくる。

「しっ……! 僕ね、見つかっちゃいけないの」

 エストの視線を追うとそこには宮殿の兵士と思しき人が二人、しきりに辺りを見渡していた。
 まさかとは思うが……彼らに追われているのだろうか?

「……な、何しでかしたのさ」

 僕も思わず小声で尋ねる。もし本当に王宮の兵士に追われているのだとしたら、相当なことだ。
 しかし、そんな僕の訝しげな視線に気付いたエストは激しく首を横に振った。

「わ、悪いことなんか何もしてないよ! 本当だよ!」

 彼は瞳を揺るがせて必死に訴えてくる。
 初めて会った相手なだけあり簡単に判断していいものか分からないが、少なくとも僕の目には彼が嘘を吐いているようには見えなかった。

「と、とりあえず、ここにいたら気付かれるのも時間の問題だよ。ここ、城門近いし……」
「えぇぅ……で、でも……詩人さんのおはなし聞きたい……」

 彼が悪事を働いていないことを信じ助言すると、エストは信じられないほどに悠長なことを言ってきた。
 『詩人さんのお話』なんかのために兵士に捕まって、万が一にでも牢獄行きになってしまったら……考えただけでも恐ろしい。仮にちょっとした盗みであったとしても、それが王族に対しての犯罪であったというだけで死刑が宣告されたっておかしくないのがこのカルド王国である。

「そ、そんなこと言ってる場合……っ!?」

 僕はエストの手を取ると、噴水の周りに集まり始めていた大人達の中に引っぱって行く。身長の低い僕らなら、これだけでも十分身を隠せる。人ごみを掻き分けるようにして、僕らは広場から離れた。

「あうぅ……おはなし……」
「兵士に捕まりたいの!?」
「い、嫌だよぅ……で、でもおはなしも聞きたいし……」
「……あのねぇ…………」

 走りながらも名残惜しげに呟く彼に、僕は心底呆れてしまった。
 僕は彼を引っ張りながら市場の近くまで戻って来た。ここまでくれば一先ず兵士の目も届かないだろう。
 エストはまだしばらくは未練がましく「おはなし……」と呟いていたのだが、市場の中に入ると何故だかたちまち瞳の色を変えてはしゃぎ始めた。

「うわあ~っ!! 見て見て見て見て! 変わったお皿が一杯~っ!!」
「え……そ、そんなに珍しい……?」

 バザーの一角、中古品の並ぶ古ぼけた店の前で、エストが大いに興奮して僕をその店の前まで引き入れた。

「わ、わ、わ! こ、こっちにもなんか変な生き物がいる……っ!」

 かと思うと、今度はその横に繋がれている鶏に目を移し、おっかなびっくりといった様子で観察していた。その鶏がくちばしで地面をつつくと、まるで猿がお手玉をやって見せるのを前にしたかのようにエストは瞳を輝かせた。
 しかし、どう見てもただの鶏……である。

「へ、変な生き物って……鶏……だよ?」

 僕が呟くと、エストは鶏を眺めていた目を驚愕に見開き、僕に顔を近付け凄まじい剣幕で僕に問いかけてきた。

「こ、これ鶏なの!? お肉にして食べるあの!?」
「そ……そうだよ? これだって雄だから多分食用だよ」

 あまりに心外だったのかエストは驚きのあまり放心したように口をぽかんと開けて、僕と鶏を交互に見やっていた。
 店の奥に座っている店主は訝しげにエストを見ている。
 僕もまた同様だ。
 どうもこの子は、ちょっと頭が……アレなようだ。同じ年頃なのに今まで僕がこの子と出会ったことがなかったのは、恐らくこの"ちょっとアレな気性"ゆえの縛りかなんかがあってのことだろう。そう僕は勝手に解釈していた。
 そういうことならば、あまり彼の言動を訝しがっては可哀想だ。彼にとってはこれが当たり前のことなのであり、この反応には何の悪気も無いのだから……
 その後もエストは魚屋に捕まったり、雑貨屋で興奮したり、肉屋の豚肉解体ショー(実際にショーと銘打ってやっているわけでは勿論ない)を見て黄色い歓声を上げたりしていた。
 しばらくそんな調子でバザーを巡っていると、ふといつも買い物をする果物屋の値札が僕の目に入った。珍しく安売りをしている。
 そういえば朝飯もまだだし、親父の分も買って今日は果物で済ませてしまおうか。
 値札の前で立ち止まり思案していると、解体ショーを満喫し終えたらしいエストが横から覗き込んできた。

「お買い物するの?」
「うん……そうだね」

 肯定すると、エストは急に真面目な顔になって僕に言う。

「あのね、お買い物をする時にはお金がいるんだよ」

 その言葉に僕の中の時間が一瞬、止まったような気がした。
 むしろ、凍りついた。

「え……そんなの、当たり前じゃないか」

 僕が平然と返すと、エストは少し驚いたように目を丸くした。

「そうなの? 僕、つい最近まで知らなかったよ……?」
「そ、それは君がおかしいよっ!!」

 やはり僕の推測は大方当たっているように思われる。
 こうして彼とバザーを巡るのが、彼が"買い物にはお金が必要である"という事実をちゃんと認識した後の出来事であって本当によかったと思う。そうでなかったら、いまごろ僕の財布は空っぽになっていたかもしれない。
 きっと王宮の兵士に追われていたのも、この"少し風変わりな気性"が災いしてしまったのだろう。これは、何事も起きないように僕が家まで送ってあげた方が良さそうだ。
 しかしそれにしても……だ、大丈夫かな、この子。

 結局、僕はそこで果物を買った。自分の分と親父の分。それからこの少し変わった新しい友達の分。
 店主から受け取った袋の中からリンゴを二つ取り出すと、僕はその一方をエストに渡した。

「食べていいの?」
「うん、あげるよ」
「でも僕、お金もってないよ……?」
「いいよ、安かったし」

 不安そうに確認してくるエストに気前良く頷くと、エストはにっこり笑ってリンゴを受け取る。

「えへへ……ありがとう」

 別に大したことをしたわけでもないのだが、エストがとても嬉しそうにお礼を言ってくれるので何だか凄く良いことをしたような気分になった。ちょっと――いや、かなり常識知らずなところはあるけれど、根は悪い子ではないのだ。僕はなんだか少し安心して、自分のリンゴをかじった。
 すると、エストがまた急に不思議なことを言い出した。

「わわわ! 駄目だよイスメト! 歩きながら物を食べたら怒られるよ!」
「ぇ……ええ?」

 男友達にそんなことを注意されたのは生まれて初めてだった。いや女の子だったとしても、これくらいなら誰でも普通にやっていると思われる。
 変な所で行儀がいいんだなあ……

「ね、ねぇ、イスメトの持ってるそれ、何?」

 場所を変えて人気のない路地の階段に腰を下ろし、二人でリンゴを齧っていると、不意にエストが僕の荷物を指差した。

「ああ、これはただの糸だよ。僕の家は機織商なんだ」
「はたおりしょー……?」
「絹を作って売るんだよ」

 するとエストはまた目を丸くした。

「絹って糸から出来るの?」
「……何から出来ると思ってたの?」

 呆れて思わず苦笑が漏れた。ここまでの世間知らずには、今後そうそうお目にかかれないだろう。空前絶後のなんとやらだ。
 でもまあ、面白いといえば面白いかもしれない。なんだか出来の悪い弟を持ったような気分で、親父と二人きりの生活をしている僕には新鮮に思われた。

「でも最近、うちの桑の木が葉を付けなくなってさ……糸を作る蚕を育てられなくなっちゃったんだ」
「ええ!? それは大変だよ! 葉っぱが無かったら桑の木さん風邪引いちゃうよ!」

 つい話の流れで桑の木の事を話すと、エストはひどく心配そうに声を上げた。
 少し論点がずれているような気がしてならなかったが、あえて突っ込まないことにする。

「う、うん……大変なんだよ」

 するとエストはおもむろに立ち上がった。

「その桑の木、助けなきゃ! ちょっと待ってて!」
「え、えぇ……っ?」

 エストは一人決意したように宣言すると、僕に待機を命じ、行き先を確認するよりも先に駆け出して行ってしまった。僕も慌てて追いかけようとしたが、路地を抜けると先程よりも人通りが増えていて、あっという間に彼の姿を見失ってしまう。
 あんな気性の彼である。一人で町を歩かせて、心配にならない筈がない。しかし一方で、彼がどこへ向かったのかはさっぱり分からない。
 僕はしばらく周囲を捜索したが、彼を見つけることはできなかった。
 仕方なく、僕は彼の言葉に従い、先程の路地で帰りを待つことにした。するとなんのことは無い、しばらくして彼は戻ってきた。
 その腕には両手でなんとか持てるサイズの甕が抱えられている。

「桑の木さんのとこ、行こう!」

 えっちらおっちらと甕を運びながらエストは、僕に家まで案内するよう言った。
 僕が甕の中身を尋ねると、彼は聖水だと返す。
 聖水とは普通、宮殿よりもさらに砂漠側にあるパテールという湖で取れる、神聖な水のことを言う。しかしその湖は王家が管理する神殿の中にあり、一般人が容易に立ち入れる場所ではない。
 僕は、きっと彼の"アレな気性"ゆえの言葉のあやだろうと、大して気にかけることはしなかった。

 ――彼が王宮の兵達から追われていたことなど、もうすっかり忘れてしまっていた。

「これでよし……」

 大事そうに抱えてきた甕の中の水を全て桑の木にかけたエストは、満足そうに頷いた。

「これでもう大丈夫だよ」
「うん、ありがとう」

 エストは一安心したように頷き、僕に笑いかけた。
 正直、僕はたったこれだけのことで桑の木が回復するなどとはまったく思っていなかった。御礼の言葉だって、彼の厚意に頭を下げたというだけのことである。困っている僕のために何かしようと必死になってくれた心優しい彼に感謝しただけのこと、本当にそれだけだった。
 だからエストが太陽の位置を見て慌てて家に帰っていったのを見届けて、親父に絹糸と果物を渡し、もう一度庭に出てみて桑の木を見るまでは、彼のことをただの"可愛げのある非常識者"程度にしか思っていなかったのだ。

 素っ裸だった桑の木に、青々とした葉が生い茂っているのを見るまでは。

 自分で言うのも寂しい話だが、僕は昔から御伽噺だとか神話だとかは余り信じる方ではなかった。しかし、この時ばかりはこう思った。
 あの子は、魔法使いだと。

 


 それからひと月ほど経った。
 僕はあの子にお礼がしたくて毎朝あの広場に通ったが、あれ以来、彼と会えたことはなかった。
 この日、僕は宮殿に頼まれた品を納品しに行くことになっていた。親父に渡された商品と領収書代わりのメモ書きを携え、宮殿に向かう。
 途中であの噴水広場を通ったが、やはり彼の姿は無かった。

「ご苦労様です」

 宮殿からの発注の大半は王女様の衣装に使うための布だ。
 僕は侍女の一人から報酬を受け取ると挨拶をして帰ろうとし――

「ねえ! 待ってよ!」

 その声に足を止めた。
 振り返ってみると大きな浅葱色の瞳が僕を捉えていた。

「やっぱり! イスメトだ!!」

 エストは階段の手摺を滑り降りて僕の前まで駆けて来た。その勢いのままに僕の手を取り、いつかのごとくブンブンと振る。

「どこかで見たことある顔だなって思ってたけど、布を持って来てくれる人だったんだね!」
「エ、エスト……? な、なんで君がこ、こんなところに……」

 言いながら僕はエストの格好に違和感を覚える。

 エストの服装と髪型は、噴水広場で会った時とは全然違った。美しく繊細な装飾の施された衣装――それは間違いなく女物で、綺麗に梳かれた髪にも女性が身につけるような髪飾りが光っていた。
 そしてエストの後ろから物凄い勢いで追いかけて来た侍女の言葉に、更に激しい衝撃を受けることになる。

「エストレージャ様! 手摺を滑り降りるとは何事ですか! 王様が見てたら泡吹いて卒倒するところですよ!!」

 ――エストレージャ?

 僕はもう一度、できる限り心を落ち着けてエストを見た。
 エストの着ている衣装の生地は絹。その丁寧な仕上がりは親父の作る絹とよく似ていた。親父の作る絹と。
 親父の作る、絹……?
 エストレージャという名前に僕は聞き覚えがある。いや、僕じゃなくともこの国の、このカルド王国の民ならば誰もが知っている名である。
 それは、この国の第一王位継承者である王様の一人娘の名前。
 王女様の、名前。
 なるほど、エストはどうやら女の子で、しかも王女様だったらしい。
 僕はまず、どちらの事実に驚くべきだろうか。まさか女の子だったとは――まさか王女だったとは。
 まさかエストが王族で、平民の僕とは比べ物にならないほど高貴な人だったとは。
 そんなエストと僕は、普通に会話をしたり手を繋いだりして――

「ねえ、桑の木は元気になった? 僕、心配で――」

 エストはそこで言葉を切った。
 ――正確には、僕の意識がそこで途絶えた。

「わーっ! イスメトが倒れちゃったよぉ~っ! ミ、ミーティス~っ!」

 泡を吹いて卒倒したのは王様ではなく、僕の方だった。


 これが僕と"彼女"の、運命の出会い。
 ここから全てが、動き始めたんだ。