「シナ」の呼称の使用中止を呼びかけ―インドネシアの国会議員 2010/05/19(水) 1...

来源:百度文库 编辑:神马文学网 时间:2024/04/26 08:49:04

「シナ」の呼称の使用中止を呼びかけ―インドネシアの国会議員

Y!政治ニュース】 【この記事に対するコメント】 2010/05/19(水) 13:47   インドネシア民主党に所属する同国国会議員のアイディ氏はこのほど、同国の公式文書で使われている中国系国民を指す「シナ(チナ)」の呼称の使用を中止すべきと主張した。中国系住民に対する差別的意味が含まれているからという。環球網などが報じた。

  インドネシアには中国系住民が極めて多い。1980年時点で600万人前後との調査発表もあり、中国本土や台湾、香港などを除けば「世界で最も“中国人”が多い国」とされる。同国の初代スカルノ大統領は、中華系住民の支持獲得の思惑もあり、発足直後の中華人民共和国に接近した。

  しかし1965年9月30日にクーデターで政権を握ったスハルト大統領は、反共の方針から中国と厳しく対立。中華人民共和国支持派が多かった中国系住民を抑圧し、虐殺事件も発生した。経済的な成功者が目立つ中国系住民への反発も強かったとされる。

  インドネシアが中国系住民を公式文書で「シナ」と記載するようになったのは、1967年の憲法院の通達による。

  アイディ氏の、「シナ」を差別用語とする主張には、インドシナ国内でも「すでに、差別的意味は持っていない」との反論がある。ただし、中国系住民の多くは「シナ」ではなく「中華」の語にもとづく呼称を希望しており、「気持ちを尊重すべきだ」との意見がある。(編集担当:如月隼人)

**********

◆解説◆
  日本で「支那」の呼称が使われるようになったのは、漢訳仏典にもとづく。江戸時代の日本では中国のことを「唐土」、「もろこし」などと呼ぶことが多かったが、新井白石らが、国際的には「チーナ」、「キーナ」と呼ばれていることを知り、仏典中の「支那」が対応する言葉であることが分かったため、使い始めた。

  清朝末期、明治時代に来日した中国人留学生は、自らを「支那人」と呼ぶことがあった。革命思想により「清」の国号は単なる王朝名と批判して、「支那こそが一貫した国名」と考えた。孫文も書簡で、「支那」の語を多用。ただし、後に「中華」を使うようになった。

  中華民国政府は戦前、「支那」の語を使わないよう、日本に要請。日本政府は受諾したが、外交文書以外では、一般に「支那」の呼称が使われ続けた。日本が文書全般で「支那」の語を使わないようになったのは、敗戦後。その後、民間でも使われることが次第に減った。

  中国人が「支那」の語を嫌うのは◆かつての侮辱(ぶじょく)的あつかいいや侵略を思い出す◆現在の、自ら定めた呼称を使ってほしい◆「支那」の文字に「傍流」、「あっち」など、よくない意味がある――ことが、主な理由。ただし、3番目の「文字に、よくない意味がある」との理由では、中国人自身が他国の名称に「蒙古(暗くて古い)」、「埃及(=エジプト)」など、よくない文字を使っているの矛盾がある。

  中国は過去の歴史上、周辺民族や周辺地域の名に「悪い文字」を選らんで使うことが多かった。日本を「倭」と表記し、「にんべん」の文字を使ったのは、むしろ例外。

【関連記事?情報】
【中国ブログ】海外華人になぜ迫害?…答え:善良すぎるから(2009/08/11)
インドネシアの少数民族、ハングルを公式文字に採用-中国報道(2009/08/06)
日中勘違い:「支那」という言葉について考える(4)(2009/04/09)
日中勘違い:「支那」という言葉について考える(3)(2009/03/31)
日中勘違い:「中華?人民?共和国」は、全部意味変更(2009/03/10)